History 東和耐火工業の歩み

東和耐火の始まり

始まりと言ったって、実に他愛もない感じだよ。
何かが始まる時っていうのはね、運が大きく作用したりする。縁もあるよね。この会社もまさにそうだった。
 私の同級生にアメリカとの合弁会社(不定形の耐火物)にいた人がいてね。私は家業のマグロ漁業が斜陽化していたので事業の転換を考えていた時期だったんだ。積極的に面倒を見るから一緒にその仕事をしようなんて言ったもんだから、実際すぐ具体的な話が来た時はやるほかなくてさ。
アメリカとの合弁会社から分裂した形のできたばかりの会社が、工場を建てちゃったんだよ。
マッチ箱作るんじゃないんだから、億って資金がいるんだよ。のるかそるかでしょう。それに、土地買って工場建てただけじゃ品物はできないよね。
最終的にあの時代に岐阜工場だけで、土地や建物、設備で6千万円かかったんだよ。昭和42年。これが今の東和耐火工業の始まり。

それでもね、なぜやっていけると思ったか。それは特許技術もノウハウも持ってたから。実際に大事なのは特許よりもノウハウだけどね。あとは技術向上していけばいい商品ができるし、必ず売れるんだよ。
そこで大事にしたのが人だよね。人材。これが大事。
だから、昭和42年に創業したばかりの会社だったのに、45年からは連続して理系の大卒者を採用したんだよ。開発と技術に重点をおいて、人を育てていくことに重きをおいた。
創業者というのはね、人間的な部分が多くないといけないと思う。人情家の側面がないと結局人はついてこない。少々会社が損したっていいじゃないか、くらいでないと。創業者の魅力っていうのはそういう面からくるもんじゃないかな。
もちろん運の強さも必要だよ。あとはその都度のひらめきかな。これも大事だと思うよ。
人は会社の基本だから。大事なのは、その人がいかに技術を磨くか、開発すればいいってものじゃないよ。開発したものを技術として磨いていく。そうやって技術を磨いていくことで正直にお客様に対応していく。その姿勢が大切なんだよ。
その姿勢を貫くのは結局人だから、そういう意味で人が東和耐火工業の基本になってると言うことだよね。

創業者の写真

創業者 小島健嗣